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「栗」は縄文人の主食だった、日本人が栗好きな理由ここにあり。 [甘いもの(和菓子・スイーツ・パン)]

栗と砂糖で作る素朴なお菓子「栗きんとん」は、岐阜県中津川市、恵那市および加茂郡八百津町の名産品です。

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~ 恵那川上屋の栗きんとん、2018年9月28日に恵那川上屋本社恵那峡店にある里の菓茶房で撮影。

栗を使った和菓子といえば、栗きんとんのほかに、栗羊羹、栗まんじゅうなどがありますが、「栗粉餅」とよばれる和菓子があります。

中津川市、岐阜市、名古屋市などにある和菓子屋で「栗粉餅」は製造販売されていますが、全国的な知名度は低いようです。

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~ 恵那川上屋岐阜高島屋店で2018年11月7日に購入した「いがぐりもち-毬栗餅-」。

商品名は「いがぐりもち-毬栗餅-」ですが、~餅に栗粉をまぶした「栗粉餅」~です。

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~ 化粧箱裏面の一括表示襽を見ると、使用されている原材料は「栗(国産)、もち米(三重県産)、砂糖、還元水あめ、食塩」です。砂糖が原料投入時の重量順で3位となっていることから、砂糖の使用割合が低い和菓子であることがわかります。

虎屋文庫の中山圭子さんの著書「和菓子ものがたり」(朝日文庫、2001年1月1日発行)の「栗菓子ことはじめ」を参照すると、「栗粉餅」は栗菓子の原点だそうです。

この頃になると、栗菓子の原点ともいえそうな栗の加工品が文献にも登場します。その名は栗粉餅。栗羊羹、栗きんとんなどが江戸時代後期に作られる前に、栗粉餅なる栗製品があったことは意外に知られていません。さて、栗粉餅とはどんなお菓子だったのでしょうか。 栗粉餅は、「松屋久政茶日記」の天正6(1578)年9月18日の条に「クリ粉ノモチ」と見える記録が古く、文字どおり、栗の粉をまぶした餅のことです。・・・中山圭子・著「和菓子ものがたり」160~161ページより引用


虎屋文庫による情報が続きますが、虎屋文庫・編著「和菓子を愛した人たち」(山川出版社、2017年6月発行)の「近衛家煕と栗粉餅-さすがの者共なり」を参照すると、「栗粉餅」に関する興味深いエピソードが載っています。

(略)享保16年10月には、虎屋にかかわるエピソードがあります。家煕が嵯峨(京都府)で朝早く栗粉餅を使用するため、晩のうちに納めるよう注文したところ、虎屋と亀屋は品質が保てないと判断したようで辞退しました。栗粉餅は室町時代から日記や茶会記に見える菓子で、餅に栗の粉をまぶした素朴なものと考えられます。菓子屋としては、栗の粉の傷みが早いのを心配したのでしょうか。それとも、あまり早く届けてしまうと、餅が固くなるということだったかもしれません。辞退の言を受けてから近衛家から、それでは栗の粉は重箱に入れ、餅とは別にするように、という新たな指示が出され、夜半過ぎに餅だけが届けられました。栗の粉がいつ届けられたかは記載がなく、実際の状況は不明ですが、当初の条件ではおいしく召し上がっていただけないという判断があったことは間違いがありません。二店の対応について「槐記」には“さすがの者共なり。何と偽っても商品を納めるのが商いの習いだが、それを断るのはよくよくのこと。些細なことかもしれないが、ほめるべきである”と記されています。(略)・・・「和菓子を愛した人たち」220~221ページより引用。


「栗の粉の傷みが早い」のは、現在の「栗粉餅」にも言えることです。栗の保水力の弱さを補うために砂糖を使いますが、砂糖の量が多すぎると、日持ちは長くなっても肝心の栗の風味が砂糖に負けてしまいます。消費期限を1日でも長くするためにトレハロースなどを添加する和菓子屋もあります。

また、「栗粉餅」のことを「栗きんとんをアレンジした人気商品」などと紹介する和菓子店がありますが、室町時代に既にあった「栗粉餅」を100年ほどの歴史しかない「栗きんとん」のアレンジ商品という本末転倒な紹介はとても残念です。






さて、栗菓子の原点ともいえる「栗粉餅」が室町時代に既にあったことに驚かれた方がいらっしゃるかもしれませんが、「栗」は縄文人の主食だったことが明らかになっています。有岡利幸さんが書いた「栗の文化史 日本人と栗の寄り添う姿」(雄山閣、2017年2月25日発行)の第1章「栗を主食にした縄文人」を参照すると、次の記載があります。

縄文時代早期初頭にあたる約1万年~約9000年前の、滋賀県大津市春嵐町沖の琵琶湖中の栗津湖底遺跡から大量の栗の果皮、鬼胡桃、水木、小楢が出土した。栗実の大きさは2cm以上で粒が揃っている。・・・「栗の文化史 日本人と栗の寄り添う姿」9ページより引用。


2000年10月1日から10月31日に開催された第57回虎屋文庫資料展の資料に総合地球環境学研究所名誉教授の佐藤洋一郎さんが寄稿した「縄文時代と栗」を参照すると、縄文時代に栗を栽培していたことがわかります。

(略)三内丸山遺跡から出土した栗の殻20個のDNAは、写真のように見事に揃っていた。遺跡周辺の山に自生する山栗のそれが互いにばらついていたのとは好対照をなしていた。三内丸山の栗は、品種改良という人の手を受けていたのである。私はここに、5000年前の三内丸山に生きた人びとの意思と知恵をみた思いがした。・・・第57回虎屋資料展資料8ページより引用。


「栗」は縄文人の主食だった、日本人が栗好きな理由ここにあり。

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~ 恵那川上屋の国産栗を使ったモンブラン「栗山」、2018年9月28日に恵那川上屋本社恵那峡店の里の菓茶房で撮影。






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